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【オーナーインタビュー 】#1 アローズラボ磐田
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category=“interview”
株式会社サンアローズ 代表取締役
ほりかわ鍼灸接骨院 代表
アローズラボ磐田 代表
堀川岳晴
――柔道整復師の道を選んだきっかけは何だったのでしょうか?
亡くなった父が医者でした。腕も良く有名だったんですけど一匹狼な性格で(笑)。浜松で自分のクリニックを営んでいました。
自分は柔道整復師の前に鍼灸の資格を持っていて、20代の頃は東京で仕事をしていたんですけど、あるタイミングで浜松に帰ってきて、父のクリニック内のリハビリ室で鍼灸を始めました。
90年代の終り頃だったと思いますけど、その頃はそのかたちが画期的だったんです。保険が使えて、針も打ってもらえて、費用も安いと。そういう仕組が一般的ではなかった時代だったので患者さんにも大変喜ばれました。噂を聞きつけて患者さんも増えて、とても忙しかったのを覚えています。
そんな頃、浜松に柔道整復師の学校ができると新聞で知ったのが柔道整復師を始めるきっかけですね。
――そこから学校に通うわけですね
はい。すでに1次募集は終わっていたんですけど、2次募集にギリギリ間に合いました。
その入試の面接官が株式会社日本スポーツ科学の山下社長でした。山下先生がこの学校の立ち上げ人の一人でした。
試験まで時間がなかったのですが、なんとか合格をもらえて柔道整復師を目指す道に入りました。
今でも憶えているのですが、試験に小論文があって、「一番感動したことを書きなさい」というテーマでした。当時バイクが好きで、ハーレーダビッドソンに乗っていたんですけど、その大型免許を取った時の試験の話を書きました。そのころは一発試験で合格するしか免許取得の方法がなくて、受かるのがとても難しい時代でした。9回落ちて10回目でやっと受かったときの「やったー!」という感情が他のどんな試験の合格よりも大きくて。落ちて、落ちて、そしてやっと受かった時の感動を小論文そのままに書きました。医療とは全く関係ないですけどね(笑)。よく受かったなと。
――学校も無事入学するわけですが
なんとか学校に入学できて、そしたらクラスの担任が山下さんでした(笑)。「あ、入試の面接官の先生だ」って。そこから色々縁があって今までお付き合いが続いています。
今でも思い出しますけど、当時山下先生が解剖学を教えていたんです。先生のことも好きだったので、解剖学だけは頑張ろうと必死で勉強しました。テストも100点だったりとクラスでもトップでしたね。ただ山下先生のテストが変わっていて、筋肉100問とか骨100問とか、全て記述で誤字も許されないというテストだったんです。厳しいテストでしたけど、これは後々すごいためになったというか。医学部の学生と解剖実習をやったときも知識では全く負けていませんでしたから。
――この頃リハビリ室はどうしていたんですか?
昼間は鍼灸で働きながら、学校に通っていました。患者さんもたくさんいましたし、本当に時間が無かったですけれど、3年間赤点ゼロだったのは自分でも頑張ったなぁと思います。
他の同級生よりも年が上だったのもあり、周りに慕われていたので、一緒に勉強したりしたことは自分にとってもプラスになりましたし、何より楽しかったですね。
――学校卒業後は何を?
学校を卒業して柔道整復師の資格も無事取りました。
卒業と同時にクリニックから独立して自分の鍼灸・接骨院を開業しました。そのころはまだ鍼灸と柔整師2つをやっているところも珍しかった時代です。
独立してからは治療に集中していました。治療が好きな上こだわりが強いので、自分の中に「こうやらないと駄目だ」というものがありました。患者さんを他のスタッフに診られたくないというくらい入り込んでいましたね。
その反面、経営には知恵と工夫が必要だとも思っていて、良いものを提供して売上もしっかり上げられる経営者的な視点も持っていました。そこで柔整と鍼灸の保険の仕組みをよく考えたんです。鍼灸は保険が使えないのですが、父親が医師なので診断書を出すことで保険が使える仕組みです。この功績が評価されて東京の鍼灸学会から表彰もされました。
怪我の治療に加え慢性疾患まで「何でも来い!」という形でやっていたので、多くの患者さんに来て頂いて1年目から黒字が出せました。
当時は3部位請求が当たり前でしたが、うちは一部位プラス鍼灸の保険も使えるという良心的なスタイルだったので患者さんからは感謝されました。ただ、そうしたら父親が医師会から叩かれてしまって。診断書を出しすぎるなと。全く違反ではないのですが、そういう結果になってしまったのは残念で、鍼灸保険をやめるかたちになりました。
――色々と工夫されていますが、経営理念などはありますか?
私の経営理念の根底にあるのが「スタッフは家族」という考えです。なのでLINEなども使ってスタッフから家庭内の相談もすべて受けます。夫婦の仲や子育ての悩みなど、すべて聞いています。そういうところにまで入っていかないとスタッフとその家族のことが心配になって自分が眠れなくなってしまうんですよ。スタッフが気持ちよく、楽しく仕事をするには家族が穏やかで幸せでないといけない。すべてのスタッフが家族円満になってくれたらいいなと、いつも思っています。そこが大事なんじゃないかなと。
社員同士で夫婦になったスタッフもいるのですが、その二人も結婚した後もまだ一緒に働いています。独立開業することもできるのに一緒に働いてくれるというのは心強いです。
――苦労したことはありますか?
たくさんありますけど、苦労話ってあまりしたくないんです。暗くなるので(笑)。
なので、一番苦労したのは大型免許試験に9回落ちたことということで(笑)。
――限定解除試験以上の感動はありましたか?
高校2年生の娘がゴルフをしているのですが、去年プロの大会で予選を通ったときは本当に嬉しかったです。
2日目の前半に3オーバーして、後半に3バーディーとって予選を通ったときは本当に嬉しかったなぁ。子どもが本当に頑張ったな、成果がでたなと。小学4年生からゴルフを始めて毎日練習に付き合って、厳しくしてきましたけど、反省している部分もありますね。親の視点で追い込んでしまったこともあっただろうし。その反省は下の息子3人に活かしていきたいです。
――ご自身のお子さんが理由でアローズを始めたのですか?
そういうわけではないですね。
山下先生とは学校卒業後も繋がりがあって、山下先生の接骨院を見に行ったこともあったんです。その頃から山下先生は変わったことをしていて(笑)。接骨院の中にトレーニングスペースを作っていたりと、その頃から少しずつスポーツの方向に向いていたのでしょうね。今はそういった接骨院も珍しくないですけど、当時は接骨院の中でトレーニングするなんてことは画期的でした。現在は治療だけでなく「運動して筋肉を作らないと治らないと」いう考えが主流になってきています。そういうことを接骨院でやっていたのを遠目に見ていて「何かすごいことやっているなー」と思っていました。その後に子どものスポーツジム「アローズジム」が始まって、これはまたすごいことが始まったなと見ていました。7、8年前ですけど、その時から自分も何かやりたいという気持ちが沸き起こりました。その時はまで具体的ではないかったのですけど。
――アローズを始めたタイミングは何だったのですか?
あるタイミングで掛川に2号店を出そうと決めました。1号店はスタートも順調でしたけど、この2号店は初め全然波に乗れなくて、ほんとに不味いなと思いました。ただ、2号店を出した時は不思議と次の3号店も出せるなと思ったんです。アローズをやる!というのもなんとなく行けるぞという感覚がありました。
1店舗で自分の城をやるのは楽です。でも、そこから他の店を他人に任すというのは最初は怖くて(笑)。もともと治療が大好きでそこに集中してやっていたけれど、自分で何か起こすなら長にならないといけない。2号店を出したことが転機でした。2号店を出したと時の勇気というは今でも忘れられないですね。
――接骨院とスポーツラボの関係についてどう考えますか?
今は接骨院の他店舗展開も普通ですが、それが故に潰し合いが起きてしまう。
そんな今こそ柔道整復師の知識や技術を向上しようという思いが必要だと思います。
特にアローズの子どもの育成に関しては大切だと感じますね。
今って子どもの遊ぶ場、運動する場がないじゃないですか。評価する場がないじゃないですか。運動会でも順位が出ないところもあるくらいです。
アローズは能力を正確に評価できるところが素晴らしいし、アローズのネットワークがあれば全国の同じ年くらいの子と足の速さなどを競うこともできる。これが面白いなと思っています。例えば「関東にすごいやつがいるぞ」みたいな情報が入ってきて、それを研究者が分析してアローズのトレーニングに落としこむとか、スポーツ科学には色々な可能性がありますよね。全国の情報から能力の高い子を参考に育成内容をアップデートしていくことは重要だと感じています。
うちでサポートしているサーフィンのプロ選手の子なども活躍していますし、TVの取材なども来てくれて、結果は出てきているかなと思います。
自分の娘には根性・精神で鍛えてきたところがありますが、今はもう違うかなと感じています。親が引っ張って子どもに教えるではなくて、子ども自身が測定から自分ことを見て、理解して、自分からやるというカタチが理想なのかなと。
――今後接骨院はどう変わっていくと思いますか?
スポーツ科学は治療に活かすだけでなく、治療に来ている人の能力をどう伸ばすかだと思います。痛いから接骨院にくるのではなくて、能力を上げるためにラボ(接骨院)に通うという時代に変わっていくのかなと考えています。
病院は能力を伸ばすことはできない。ラボの入った接骨院なら科学のエビデンスを持ってリカバリーからパフォーマンスアップまでをサポートできる。今まで「本当なの?」と言われていた東洋医学の部分も科学で説明できることは大きいですよ。
怪我をしなければ行く必要のない接骨院ではなく、パフォーマンスを上げるためにラボ(接骨院)に通う。怪我をしたら病院で治す。パフォーマンスを上げる、怪我からのリカバリー、パフォーマンスを上げるというサイクルに接骨院が入っていくことで、新しい接骨院の未来が見えるのかなと思っています。